ファルコン号の旅

 ファルコン号の旅は至極順調なものだった。
天候は晴天だったし、風向きも北風で追い風であった。
眼下に広がる広大な平地や山脈等の自然、そして人間が造り出した、ミニチュアの様に見える町。
ファルコン号を取り巻く紺碧の空。
ファルコン号の水夫達も、エレもナスカヤもアーサーもこの光景を堪能した。
約1名、部屋にこもりっきりの人間が居た。
ピーターである。
「ピーター、見てみなさいよ、素敵な山よ」
エレがさそっても首を左右に振るだけだった。
「いいよ、僕にはここから見える光景で充分だよ」
「まさかピーター・・」
エレはピーターに近寄り、顔を覗き込みながら
「怖いんじゃないでしょうね?」
「ち、違うよ、そんな事あるもんか」
「じゃあ、行きましょうよ」
「い、いいよ、今はそんな気分じゃないんだ」
「行きましょうよ、来なさい」
「いいよ」
エレはピーターの腕を掴んで引っ張り始めた。
ピーターはてこでも動くまいと必死だっだ。
この時部屋の中にエンリケと言う水夫が入ってきた。
エンリケは先程からのやり取りを見ていたらしい。
いきなりピーターの足を両手で掴むと、逆さ釣りにした。
「うわぁー!何をするんだ!離して下さいよ!」
絶叫するピーターを無視して、エンリケは部屋の外へ出た。
通路の手すり側に来ると、その下には広大な平野と山脈が広がっていた。
「うぎゃあー!」
この光景を見たピーターは絶叫した。
エレの前でも何でも関係無かった。
周りに居た人々はエレも含めて爆笑した。
エンリケは更に手すりの向こう側にピーターを吊り降ろした。
ピーターは逝ってしまった。
「ちょっと薬が効き過ぎたかな?」
エンリケは言うと、ピーターを部屋の中に戻した。
ナスカヤが介抱して、何とかピーターは意識を取り戻したが、もう絶対そこから動くまいと決意した様だった。
「ピーター、ちょっとかっこ悪いわよ」
「何とでも言ってくれ、僕は高い所は駄目なんだ」
エレに言われても首を振るだけだった。
「そんなこっちゃ困るぞい」
ベイツが入ってきた。
「これからお前さんにも働いてもらうんじゃからな」
「え?働くって?」
「唯でこの船に乗れると思っとったのか。ちゃんとこの船に乗っている間は船員として働いてもらうぞい」
「そんなぁ」
「何がそんなぁ、じゃ。アーサーを見てみい」
言われてピーターはアーサーを探した。
アーサーは計器と取り組んでいた。
横には別の水夫が、これまた別の計器と取り組んでいた。
「アーサーさんみたいには出来ませんよぉ」
「なぁにを言っとるか!着いて来い!」
言われて、渋々ピーターはベイツの後に従っていった。
通路に出た時は、壁側に体を押し付けて進んでいた。
「何じゃい、そのへっぴり腰は。もっとシャキッとせんかい!」
「そんな事言ったって・・」
「つべこべ言わずにさっさと歩く!」
「分かりましたよぉ」
「返事ははい!じゃ!」
「はい」
「声が小さい!それじゃ聞こえんぞい!」
「はい!」
「まぁ良いじゃろ、さぁこっちじゃ」
ベイツはピーターをエンジン室へ連れて行った。
「エンリケ!この坊主に仕事を教えてやれ!遠慮は無用じゃぞ!」
「わっかりましたぁ!」
「ではの、坊主。きちんと働けよ」
言うとベイツは通路を前の方に歩いていった。
その先ではエレがくすくすと笑っている。
少しむっとしてピーターはエンリケの横に立った。
「良いか、このメーターが炉の圧力を示している。針が赤い所に来たら危険ゾーンだ。その時はこのバルブを」
と言ってエンリケはあるバルブをひねった。
メーターの針が左に振れた。
「今みたいに反時計回りに回す。逆に出力を上げる場合は」
今度は逆方向にバルブをひねった。
針は右に触れた。
「時計回りに回す。分かったな?やってみろ」
ピーターはバルブに取り付いて反時計回りに回そうとした。
バルブはびくともしなかった。
「駄目だ駄目だ、そんなへっぴり腰じゃあ。もっと腰に力を入れて!」
言われてピーターは全力を振り絞ってバルブを回した。
今度は何とか回ってくれた。
「良し、戻してみろ」
ピーターは再びバルブを逆方向に回した。今度は回し過ぎた。針は赤い所へ行ってしまった。
「やり過ぎだ、早く戻せ!」
ファルコン号はいきなり急加速を始めてしまった。慌ててベイツが入って来た。
「何をやっとるんじゃあ!」
「いや、炉の制御方法を教えていた所です。ちょっとやり過ぎたかもしれませんがね」
「早く戻さんかい!」
言われてピーターは慌ててバルブを回した。
しかし時計回りに回してしまった。
ファルコン号は更に加速した。
「逆だ馬鹿!さっさと戻せ!」
エンリケに怒鳴られてピーターは再度バルブを反時計回りに回した。今度は何とか針が正常値に戻ってく れた。
「やれやれ、初めからこれか。まだ覚える事は山ほどあるんだぞ」
「えっ、これだけじゃ無いんですか?」
「当たり前だ。お前と俺の仕事はこのエンジンを常に快適に稼動させる事だ。その為には常にエンジンを 手入れしてやらなくちゃならん。炉に溜まったかすを取り除いたり、緩んだボルトを閉め直したり、常に 最大限の注意を払ってエンジンを見守ってやらなきゃならないんだ。でないと、エンジンは思った通りに は動いてくれない」
「そんなぁ」
「泣き言を言っている暇があったらさっさと仕事を覚える。次は炉の手入れ方法だぞ」
「分かりましたぁ」
「返事は・・」
「はい!」
「じゃあ頼んだぞい、エンリケ。今回みたいのはもう御免じゃからな」
「分かってます。何とか努力してみましょう」
こうしてピーターはその後半日エンリケにしごかれっ放しだった。
ピーターにとって最も恐怖なのは下が見える時だった。
この時ばかりはエンリケに怒鳴られても足が動かなかった。
しかし待っていたのは鉄拳制裁だった。
「酷いじゃないですか!何するんです!」
半泣きになってピーターは叫んだが
「我慢しろ、俺だってベイツ親方に何度喰らったか分かりゃしない」
「えぇ、エンリケさんが?」
「そうだ、空の男は荒っぽいんだ、よく覚えておけ」
「そんなぁ」
「皆そうやって体で覚えていくんだ。いいか、頭じゃない。体で覚えるんだ」
「急に言われても無理ですよぉ」
しかし返って来たのは鉄拳だった。
何だかんだ言いつつも、ピーターは次第に慣れて来た。
その内下が見えても気にならなくなった。
と言うより、気にしている暇が無かったという方が正しい。
油まみれの顔と手で炉を点検しながら
「3番、4番異常無し!」
結構一丁前になって来たピーターを見てエンリケは目を細めた。
「良し、大分出来るようになってきたな」
エンリケに言われて、ピーターははにかんだ。
誉められたのも嬉しかったし、自分でもかなり慣れて来たのが実感できたのが何よりも嬉しかったのである。その時である。
「メシじゃぞー!」
ベイツの怒声が連絡管から聞こえて来た。
「良し、タップリ働いた後はお楽しみの時間だ。さぁ食堂へ行くぞ」
エンリケとピーターは途中で手を洗ってから、食堂へ向かった。