アーン人の歴史10

「こ、これはルレーネ様」
リカーネは慌てて礼をした。
「ふん、馬上で礼をするか。マリク殿の下僕とは言え、随分とお偉い事だな」
ルレーネは鍵鼻を突き出すようにして行った。
ルレーネは白銀製の鎧と漆黒のマントをそのやせぎすな長身に纏っていた。
他のゴルバディア達も同様であった。
「これは失礼しました、何分急いでいたものですから」
リカーネは慌てて言い訳をした。
「ふん」
ルレーネは鼻でせせら笑うと、しげしげとリカーネを眺めた。
リカーネは心臓が止まる思いであった。
丁度、生暖かい風が街道沿いの黒い森の中を駆け抜けて行き、リカーネは何か不吉な予感に囚われた。
「マリク殿の下僕が、こんな夜遅くにそんなに急いで何処に行こうと言うのだ?」
「そ、それは・・」
相手がドイルの側近であるだけに、滅多な事は言えない。
リカーネはしどろもどろに
「じ、実は私の母親が急な病で倒れたとの知らせがありまして、急いで戻ろうとする所であります」
と何とか言った。
「ほう、お母上が急病なのか、それは気の毒な事だな。ところでリカーネ、お前の出生地は確かスガルだったはずだが?」
「は、はい、その通りです、覚えていて下さって光栄です」
「光栄は構わんが、スガルに行くのであれば、お前は東へ向かうべきなのでは無いのか?ど うして西に向かっているのだ?逆さまでは無いか?」
「い、いえ、それは・・」
思わぬ墓穴を掘ってしまって、リカーネは完全に動転してしまった。
まさしくルレーネの言う通りである。
「どうした、なんで西へ向かっているのかと訊いているのだ」
ルレーネはリカーネに詰め寄った。
酒臭い息がリカーネにかかり、思わずリカーネは顔をそむけそうになった。
「他にも用事がありまして、そ、それで・・」
「黙れ!」
ルレーネは一喝した。
「真実母親が急な病に倒れたのであれば、どうしてそれを差し置いて他の用事を先に済まそ うとするだろうか?そんなはずはあるまい!察するに、お前はマリク殿に何事かを頼まれて フェルノリアへ向かおうとしているのでは無いのか?」
「いえ、そんな事はありません」
「ではどうして西へ向かうのだ?説明してみせろ!」
「そ、それは・・」
終にリカーネは答えに窮してしまった。
これを見てルレーネは勝ち誇って言った。
「やはりフェルノリアへ向かおうとしていたのだな、最早問答は無用である。それ、者ども! こいつを捕まえて、ドイル様の前に引きずり出すのだ!」
ルレーネの命を受けて、一斉に取り巻きのゴルバディア達はウィルンに乗ったリカーネ目掛けて殺到した。
「飛べ!ウィルン!私を乗せて天空の彼方へ!」
リカーネはとっさに叫んで、ウィルンに気を注ぎ込んだ。
ウィルンはリカーネの叫びに応じた。一声嘶くと、殺到するゴルバティア達を飛び越えて、満天の星の中を天高く駆け上がり始めた。
「逃がすな、追え!」
慌ててルレーネは命令を下し、出し抜かれたゴルバティア達は一斉にウィルンを追い始めた。
ウィルンは天空をどこまでもどこまでも疾駆して行った。
「走れ、ウィルン、速く、少しでも速く!」
リカーネはウィルンの上でひたすらそれだけを念じていた。
ゴルバディア達は懸命になって飛行したが、どんどんウィルンから引き離されていった。
「馬鹿者!何をしている!ぐずぐずしないで後を追いかけんか!」
ルレーネは激怒して部下達を叱咤したが
「無理です、あれはウィルンに違いありません。相手がウィルンでは到底追いつけません」
「そうです、あの馬はゴルバディア随一の名馬です」
彼らが言う通り、全身白色のウィルンは正に一筋の流星となって天空を駆けていた。
「うーむ、おのれ・・・」
ルレーネも懸命になって追いつこうとしたが、余りにも足が違い過ぎた。
到底、追い付けるものでは無い事は明らかであった。
「止むを得ん、これ以上追走しても無駄だ」
終にあきらめて、ルレーネは言った。
「だが、これでマリクの叛心は明らかになった訳だ、この上はマリクを問いただしてくれる!者ども、続け!」
ルレーネとゴルバティア達は一斉にマリクの家目指して引き返し始めた。
全速力でマリクの家に到着すると、
「マリク殿!」
ルレーネは大声で呼ばわった。
「マリク殿、私です、ルレーネです。ドイル殿がお呼びです。マリク殿!」
しかし、何度呼ばわっても誰も出てこない。
マリクの家はシンとして静まり返ったままであった。
「さては!」
ルレーネは何か思い当たったらしく、
「構わん、全員突入しろ!マリクを発見し次第ひっ捕らえるのだ!」
言われてゴルバディア達はマリクの家になだれ込んだ。
しかし、中はもぬけの空であった。
「やや、やはりマリクめ、既に姿を晦ましおったか、こうしている場合では無い、直ちにドイル様に報告せねば」
ルレーネ達は慌ててドイル達が酒宴を開いている神殿目指して飛んでいった。
 ドイルは酔って上機嫌だった。
マリクの事が少し気にかかったが、自分を支持するゴルバティア達の追従に有頂天になり、今は部下の1人が待っている舞に興じている所だった。
そこにルレーネが慌てて駆け込んできた。
「ドイル様!」
ドイルは舌打ちした。
折角の雰囲気が台無しである。
だがルレーネの報告は雰囲気をぶち壊すだけでは済まされないものだった。
ルレーネが耳打ちすると
「何だと!」
激怒してドイルは持っていた杯を床に叩きつけた。
「ではマリクの奴は塔の鍵を持ったまま行方を晦ましてしまったと、こう言うのか!」
「それだけではありません、マリクの下僕であるリカーネがフェルノリア目指して向かって おります。おそらく、今日の我々の言動を伝える積りでしょう」
「一体、何だって貴様らはリカーネを逃すようなドジを踏んだのだ!」
「奴はウィルンに乗っておりました。我々では到底あの馬には勝てません」
「うーむ、マリクめ!こしゃくな真似をしおって!ルレーネ!貴様、マリクが居なくなった 事が何を意味するか、分かっているのか!」
「はい、それはもう充分に。ですので、緊急にご報告に参上した次第です」
「くっ、奴が居なくてはシドの時間石の封印を解く事は出来ん!あれがなければ、わしの力 は無いのも同然。6人の守護者が石を持って来たら、到底太刀打ち出来んのだぞ!」
「分かっております」
「探せ!マリクを探せ!探して何としても塔の鍵を奪い返せ!さもなければ、わしは破滅だ! リカーネがフェルノリアに辿り着く前に、何としてもマリクを探し出して奴が持っている鍵 を奪い返して来い!」
ドイルは半狂乱になって叫んだ。
その場は蜂の巣を突付いた様な騒ぎになった。
先程までの楽しい酒宴の雰囲気は一変して、一刻を争う緊張感がみなぎった。
ゴルバディア達は必死になってマリクを探した。
「まだそう遠くへは行って無いはずだ」
「どこか、そこいら辺に潜んでいるかも知れん」
ゴルバディア達は夜を徹して、徹底的にマリクを追求した。
しかし、マリクの行方は洋として知れなかった。
ドイルは神殿の玉座に座って報告を待っていたが、目だけがぎらつき、体は憔悴しきった感じになってしまった。
彼は恐れていた。6人の守護者の裁きを。
もしこの事が露見してしまえば、彼等は黙っては居まい。
間違いなく、フェルノールの召集に応じて、自分を裁きに、各々の石を携えてやってくる。
「もしそうなれば!」
ドイルは天を仰いだ。
間違いなく破滅である。
シドの時間石が無ければ、例えゴルバードと言えども6人の守護者に逆らう事は出来ないのである。
ドイルは頭を抱えて込んでしまった。
せめてリカーネさえ捕らえていれば!まだ救いはあろうものを!

 一方、リカーネはウィルンに乗ってひたすら西を目指して飛んでいた。
ウィルンはあの逃走の時からひたすら全力で西目指して疾駆していた。
首筋に汗がにじんでいたんで、リカーネはマントで拭いてやった。
何としても、ゴルバティアに起こった不祥事をフェルノールに伝えなくてはいけない。
唯それだけを願って、リカーネはひたすら西を目指していた。
やがて、徐々に明るくなってきた。
太陽に追い付き始めたのである。
そして、終に太陽が地平線の彼方からその姿を現した時、白亜の城門がその夕暮れ時の色に染まってそびえ立っているのが見えた。
「フェルノリア!」
思わずリカーネは嘆息した。
リカーネはウィルンの手綱を優しく引いた。
ウィルンは徐々に馬脚を緩めながら下降を始めた。
そして、地面に降り立った時は、巨大にそびえるフェルノリアの城門の前だった。
リカーネは終に目的地に辿り着いたのである。