ファルコン号の旅2

 食堂からは良い匂いが流れていた。
一日の労働で腹ぺこのピーターには、たまらない匂いだった。
炊事の担当はナスカヤとエレである。
特にナスカヤは結構料理が得意な様で、これは船員達にとっては嬉しい誤算だった。
エレもローガンと暮らしていた時に炊事は一切エレがやっていたので、決して不得意ではなかった。

 エンリケとピーターが着いた頃には既に食事は始まっていた。
猛烈なスピードで料理が男達の胃袋に納められていく。
これにはナスカヤもエレも呆然と見ているしかなかった。
ピーターも猛烈な勢いで食べた。
とにかく腹が空いていたのである。
ベイツはナスカヤとエレを見て
「空の男はいっぱい食うんじゃ。よく働くからの」
と自慢気に言った。
ナスカヤとエレは男達の喰いッぷりに驚いたが、男達も料理の上手さに驚いた。
「これから毎日こんな料理を食えるのか」
「言う事無しだな。ジェイコブのとは大違いだぜ」
「悪かったな、ま、しかし確かに言われてもしょうが無いな。こんなに上手いのは久し振りだ」
男達は充分満足した。
これから毎日、おいしい料理が食べられる。
それだけでも男達にとっては非常に嬉しい事だった。
更に言うと、男達の常で、やはりナスカヤとエレが居ない所では、この2人の話題で持ちきりだった。
なにせ男だけの船だった中に2人も、それもナスカヤもエレも美形と言って良いだろう、そんな女性が乗り込んできたのである。
エレはちょっと恋愛の対象としては幼過ぎたかもしれないが、男達にとってはそんな事は問題にされなかった。
ある男はナスカヤの方が大人っぽくて良い、別の男はエレの方が快活で良い、となんだかんだで品定めをしていた。
この2人が通りかかると、男達は俄然元気になって働いた。

 いつしか、ナスカヤは女王様、エレはお姫様のレッテルを貼られていた。
2人もそれなりの気品があったし、いつも男達に優しく接してくれるので、いつしかそうなったのである。
最も後でこれを知ったナスカヤは
「それじゃまるで私がおばさんみたいじゃないの」
とちょっとむくれたが、顔はまんざらでもなさそうだった。
ベイツ艦長は男達の状況を見て、これを喜ぶべきか、憂うべきか、非常に迷った。
何しろ、男達はこの2人の前では元気になるのは良いのだが、去っていく時もいつまでも目線が追いかけているのである。
ベイツが何度雷を落としたか分からない。
しかし男達をとがめるのは酷であろう。
何しろ、それまで男しな居なかった場所に、いきなり2人も、それも美形の女性が現れてしまっては無理も無い。
男達は事有る毎にこの2人の気を引こうと必死だった。
用も無いのに調理場を訪れたり、洗濯物を干すのを手伝ったり、言われてもいないのに
「冷たい飲み物でもどうだい?」
と親切に冷水を持ってきたりした。
ナスカヤとエレはこの状況を結構楽しんでいた。
今までこんな待遇は受けた事が無かったからである。
最も、エレには不満があった。
それはこの男達の中にピーターが入っていない事である。
ピーターとアーサーだけは、特別彼女達の気を引くような事はしなかった。
エレとしては、こういう事を最もやって欲しい人間がピーターなのである。
「それが分かってるのかしら?」
エレは心の中でピーターをしかっていた。
最もピーターにはピーターの事情があった。
ピーターはエンリケにしごかれっ放しで、とてもではないがそんな事に気を回す余裕は無かった。
必死になって言われた作業をこなしているのである。
働きながら、ピーターは思った。
人生、不公平だ。
よく小説に出てくる主人公とかはかっこ良くて、何でも出来て、こんな風に怒鳴られながら仕事なんかしやしない。
それに比べて、自分はどう見てもハンサムとは言えず、特別優れた知力や体力がある訳でも無い。
こんな風に惨めに怒鳴られながら、必死になって働くのが精一杯である。
エレもきっと、いつかヒーローみたいな男性に巡り合ったら、自分の事なぞ放っておいて、その男のもとに行ってしまうに違いない。
そう思うと、ピーターは何で自分がここに居るのか、非常に疑問になって来た。
最も、手がおろそかになったので即座にエンリケの鉄拳制裁が下り、現実に引き戻されたが。

 こうして、何とかその日の仕事も終わり、無事に夕食にありつくことが出来たピーターは、正直参ってきた。
精神的にも、肉体的にも、である。
食事が終わって自分の部屋に戻ろうとするピーターをベイツが呼び止めた。
「ちょっと待った、坊主、今晩はお前にも監視をやってもうらうぞい」
「監視?」
「そうじゃ、航行中別の飛行機と遭遇せんとも限らん。もしくは何か障害物があるかも知れん。他 にも雲の様子や風の具合など、色々監視する必要があるんじゃ。今晩はお前の番じゃ。ついて来い」
言うと、ベイツはピーターを連れて歩き出した。
エレはそんなピーターを見送っていた。

 ピーターが連れて行かれたところは、通路のてすり側に生えているはしごの下だった。
「この上に見張台がある。今はサムの奴が見張っている。行って交代して来るのじゃ」
「えっ!これを登るんですか?」
「そうじゃ、気をつけんと落っこちるぞい」
多少は高所恐怖症が治ったピーターだったが、これは恐怖するしかなかった。
「早く行くんじゃ!」
ベイツは容赦しなかった。
ピーターは仕方なく下を見ないようにしながら、はしごを上りだした。 はしごはガスが入っている風船部分に沿って頂上まで続いていた。
頂上には見張台があり、その中でサムが毛布を被って監視していた。
「おっ、今夜は坊主もやるのか」
サムは言うと毛布をピーターに放った。
「寒くなるぞ。気をつけろよ」
言うと、サムははしごを降りていった。
確かに見張台は風が直接当るので結構寒かった。
ピーターは周りを見回した。薄暗い残光の中で、眼下に広大な雲海が広がっていた。
前のピーターなら間違いなく気絶していただろう。
しかし今のピーターはこの光景に見とれていた。
やがて任務を思い出して、備え付けの双眼鏡で辺りを見回し始めた。
別段、変わった事は無い。
しばらく監視を続けていたが、やがてはしごの方から人の気配がした。
交代にしては早いな、と思ってみていると、何と来たのはエレだった。
「エレ!一体どうしたんだい?」
ピーターは慌ててエレの手を取ると、見張台の柵の中に引き込んだ。
そして毛布の中に入れてやった。
エレの体がピーターの体にくっ付いているのを、ピーターは意識せずにはいられなかった。
最も、それはエレも同じだったが。
「えへへ、来ちゃった」
「エレも監視をするのかい?」
「違うわ。どんな光景なのか見たかったのよ」
エレは言うと周りを見回した。
「綺麗・・」
エレはうっとりと見とれていた。
ピーターはそんなエレに見とれていた。
ので、エレがいきなりピーターの方を向いた時にはドキッとした。
「ピーター」
「な、何だい?」
「前から聞きたかった事があるの」
「な、何をさ?」
エレはしばらくうつむいていたが、やがて決心したようにピーターを見つめた。
ピーターはどぎまぎしてしまった。
「どうしてピーターは私について来てくれたの?」
「え?」
「だって、私と一緒に居れば恐ろしい人達に狙われる事になるのよ。今だって、こんな寒い中を 我慢して仕事してるじゃない。どうしてなの?」
「そ、それは・・」
ピーターはうつむいたが、思い切って顔を上げた。
「だって放って置けないじゃないか。エレは何も悪い事してないのに、おじいさんまで殺されてるんだよ」
「でも、それはピーターには関係無い話だったじゃない」
「今はもう関係無いことじゃないよ。僕だって狙われてるはずさ。それに、初めてエレに合った時に 思ったんだ。これは何かの始まりなんだって。僕にとって何か大切な事の始まりなんだって。だか らさ。それに・・」
「それに?」
ピーターはうつむいてもじもじしながら
「で、出来れば、あの連中からエレを護ってあげたかったんだ」
「ピーター・・」
エレは目を閉じてちょっと涙ぐんでいるようだった。それからいきなりピーターのおでこにキスをした。
「ありがとう」
最もピーターは既に逝ってしまっていたので、聞こえていなかった。
エレは慌ててピーターを揺り起こした。
「ふぅ、ビックリした」
「ごめんなさい、私とっても嬉しくて」
「エレ・・」
「ピーターが私について来てくれるって言った時、私凄く嬉しかった。心細かったの。本当の事を 言うとね。だから、とても嬉しかった。ピーター・・。わ、私、ピーターの事、好きよ・・」
「ぼ、僕もエレの事が、す、好きだよ・・」
エレはピーターに抱きついた。
今度は何とかピーターはこらえた。
ピーターは天にも上る心地だった。
昼間に考えた事なぞ一気に吹き飛んでしまった。

 ただし、2人は見張台にはブリッジに直結している連絡管がある事に気付いていなかった。
この見張以降、水夫達がピーターに対して厳しい態度を取るようになったのは気のせいでは無いかもしれない・・