アーン人の歴史4

 崖から落ちたカリエルは、ミラの空間石の力で自分の体をなんとか空中に固定しようとした。
下を見ると、大河が流れてる様であったが、幾ら水面とは言えあの高さから落ちて叩きつけられ てしまっては即死してしまう。
しかしここに来るまでに既にカリエルの力は疲弊し切っていた。
体を固定する事はできなかったが、何とか落下する速度を抑える事はできた。
カリエルはそのまま大河の中に落ちた。
必死になって岸を目指して泳ぎ着き、何とか陸地に這い上がった。
周りはうっそうとした木々に囲まれており、森になっていた。
カリエルは疲れきった体に鞭打って、何とか森の中を歩き出した。
逃げなくてはいけない。
ナガルが率いる捜索部隊は直ぐにやって来るだろう。
しばらく歩いて、とうとう動けなくなってしまった。体力の限界であった。
長い間の逃亡生活による疲弊は、頂点に達していた。
カリエルは大木に身を寄せて座り込んでいた。

 しばらく空を眺め、これまでの逃亡生活の事を思い出していた。
そして故郷に残してきた両親の事を思った。
両親はどんなに批判を浴びているだろうか。
しかし、仕方が無かった。
ディモットの企みを阻止するには、他に方法は無かったのである。

 不意に視線を感じて、カリエルは辺りを見回した。
初めは何も発見できなかったが、よくよく見ると、木の蔭から誰かがこちらを見ているようである。
カリエルが注視すると、姿を現した。
それは黒髪の少女だった。
蒼い服を身にまとっている。
腕には籠を抱えていて、中には採集した果実が入っている。
お互い、しばらく無言で見詰め合っていた。
やがて少女が近づいて来て、1つの果物を差し出した。
「ありがとう」
カリエルは礼を言って食べたが、言葉は通じなかった様である。
少女はキョトンとした顔でカリエルを見ていた。
不思議な味のする果実だった。
食べ終わると、何となく体がポカポカして来て、元気が出てきたような気がした。
「おいしかったよ、ありがとう」
再び礼を言ったが、やはりアーン語は通じないみたいである。
その内物音がして来た。
「あの辺りに落ちたはずだ」
ナガル達がやって来たのである。

 再びカリエルは窮地に陥った。
しかし少女が身振りでついて来るように促した。
カリエルは多少とまどったが、少女の後について歩き出した。
少女は森の中の道を知り尽くしているかのごとく、何の迷いも無く進んでゆく。
しばらく薄暗い森の中を進んでゆくと、やがて絶壁に出くわした。
少女は今度は絶壁に沿って歩き出した。
そしてしばらく歩くと、やがて絶壁から飛び出しているある岩を押した。
すると驚いた事に絶壁に穴があいた。
カリエルは呆気に取られていたが、少女が中に入るように促したので、中に入った。
少女は出現した洞窟の中に入ると、籠の中からたいまつを取り出して火をつけ、そして洞窟の岩肌のある石を押した。
すると今度は絶壁の穴が再びふさがって、元通りただの岩肌になってしまった。

 少女とカリエルは長い洞窟をどこまでも歩いていった。
足元が余り良くなく、カリエルは時々躓いたが、少女は慣れているのかすいすいと歩いていく。
1時間(アーン人は既に1日を24時間として捉えていた。
彼らの天文学に関する知識は、あるいは現在の我々よりも遥かに上である)位も歩いただろうか。
終に洞窟が終わって、太陽のまぶしい光が差してきた。
カリエルは思わず目を覆ったが、やがて慣れて来た。
出た場所は、入った場所と同じ様な森だった。
再び森の中の道を歩き出したが、しばらくすると集落に着いた。
どうやらこの少女の村の様である。
村人達は好奇の視線をカリエルに向けた。
子供達が集まって来て、少女に何事か盛んに尋ねている。
少女は何事か答えていたが、カリエルにはその言葉を理解する事がさっぱりできなかった。

 少女はカリエルを村の中心にある大きな建物の中に案内した。
その建物のある部屋に通されると、1人の老人が椅子に腰掛けていた。
少女は老人に向かって何か説明していた。
恐らくカリエルを発見し、連れて来た経緯を説明しているのだろう。
老人は黙って聞いていたが、聞き終るとしばらく考え、そして少女に何か言った。
少女は頷いた。
結局、カリエルはこの娘の家に世話になる事になったのである。
そして、少女がカリエルの怪我の介抱と、この村で使用されている言語の指導を行った。
カリエルはフェルノール筆頭候補だっただけあって、直ぐにこの村の言葉を覚えた。
少女の名前はニーナと言うらしい。
そしてこの村はヤルックと言うのだそうだ。

 カリエルがある程度話せるようになった頃、ニーナは再度カリエルを村の中心の建物に案内した。
そしてまたあの老人に会わせた。老人はこの村の長老なのである。
「フォッフォッフォ、もう話せるようになったか。なかなか賢い様じゃな。わしはこのヤルック 村の長老、ウルじゃ。お主の名は何と申す?」
「カリエルです」
「ふむ、ニーナによると、お主追われていたようじゃが、何故かね?」
「それは答える事ができません」
「ふーむ」
ウルは唸って考え込んだ。しばらくしてから
「ニーナは勘の良い娘じゃ。あの娘の勘は外れた事が無い。ニーナはお主を良い人間だと思った から助けたと言った。じゃが逃亡者となると、何かしでかしたに違いない。わしらとしてはじゃ、 ニーナの勘を信じてお前さんを助けたが、万が一ニーナの勘が外れてお主が悪人だったとしたら、 それを恐れている訳じゃ。なので何としても、追われる理由は聞かねばならん。また聞く権利も あると思うが、どうじゃ?」
今度はカリエルが唸って考え込んだ。しばらくしてから
「確かに私は窮地に陥っていた所を助けて頂いた身の上です。分かりました。できる限りお答え 致します。ただし、どうしてもお答えできない場合もあります。我々はある秘密を持っておりま す。それだけはどうしても他の民族には教える訳にはいきません。それだけはご了承願いたいと 思います」
「ふむ、よかろう」
「簡単に言いますと、現在我々の民族の指導者が悪意を抱いて、我々を自分の思うままに操ろう と企んだのです。私はそれを阻止しようとしましたが、力及ばずできませんでした。そこでこの」
と言って、懐からミラの空間石を取り出した。
「この石を盗み出したのです。この石はミラの空間石と言い、ある強大な力を秘めた石です。こ の石が無ければ、悪意を持った指導者も思うままに力を振るう事はできないのです。だからこれ を盗み出しました。当然、悪意を持った指導者は私に追っ手を差し向けました。もう少しで捕ま りそうな所を、ニーナに助けて頂いたという次第です」
「ふーむ、なる程」
「ニーナ、本当にありがとう、君は命の恩人だ」
ニーナは多少顔を紅く染めて
「私はただあなたが良い人だと思ったから助けただけよ」
と言った。
「それで、お主の民族とは一体何と言う民族かね?」
「アーンです」
「何アーン人じゃと!」
ウルは思わず叫び声を上げてしまった。
「アーン人と言うと、あのアティア人を絶滅させてしまった民族かね?」
「はい」
「うーむ」
ウルは再び考え込んだ。目を閉じてしばらく考えていたが、
「もしそうだとすると、いずれここにもやって来るかもしれん。その時、わしらには何もしてや れん。わしらはアティア人にすら抵抗できる力は無かった。ましてやアーン人となると、どうす る事もできぬ」
「分かっております」
「で、お主はどうする積りじゃね?」
「私としては、このミラの空間石を奴らの手の届かない所に保管したいと思っています。現在は アーン人の指導者は悪者ですが、いずれ善良な指導者が現れるでしょう。その時が来るまで、こ の石をどこかに置いておきたいと思います」
「なる程のぅ」
ウルは再度考え込んだ。その時ニーナが横から口を出した。
「長老、あの洞窟はどうでしょう?」
「あの洞窟というと?」
「例の井戸底から繋がっている洞窟です」
「うむ、それは良い考えかもしれん」
「その洞窟とは?」
「この村の井戸の一つが、ある長大な洞窟と繋がっておるのじゃ。昔村の若い者が何人か探検し たそうじゃが、かなり大きな洞窟らしい。入口はその井戸しかない。そこなら、その石を隠すの にうってつけじゃと思うがのぅ」
「そんな洞窟でしたら、確かにその通りです。良い隠し場所になります」
「では決まりじゃ」
「長老、お願いがあります」
「何じゃね?」
「この村の鍛冶屋に、頑丈な箱を一つ作って頂きたいのです。この石はその中に保管しようかと 思います。更に、洞窟の入口にも扉を作って、誰も入れないようにして頂きたいと思います。こ の石の力は、とてつもなく強大なものですから。万が一悪人の手に入ると大変な事になってしま うのです」
「なる程、良く分かった。早速サジの奴に作ってもらうとしよう。時にこれからじゃが」
ウルは意味ありげな目でニーナを見つつ
「お主さえ良ければ、このままニーナの家で面倒を見てもらうのが一番じゃと思うのだがどうか のぅ?」
「しかし、それではご迷惑がかかってしまうのでは・・」
「そうでもあるまい、のぅニーナ?」
「知りません!」
ニーナは顔を真っ赤にして駆け去ってしまった。
「これで決まりじゃ。では早速作業にかかるとしよう」
 鍛冶屋のサジは3日をかけて頑丈な鍵付きの箱と、井戸底の入口に頑丈な鍵付きの扉を作った。
箱の中にミラの空間石を入れ、箱に鍵をかけたカリエルは、
「この鍵は私が持っていることにします」
言って、井戸底から例の洞窟に入っていった。
数名の若者が同行した。
非常に広大な洞窟であった。
かなりの距離を歩いた後、終に行き止まりになった。
カリエルはその辺の岩を手刀で大きな直方体に切った。
アーン人であればこれ位はお手の物である。
最も同行した若者達は度肝を抜かれていたが。
その上にカリエルは箱を置き、そしてある強力な結界を張った。
「さぁ、これで良い」
カリエル達は引き返し、井戸底に戻った。扉を閉めて鍵をかけ、井戸の外に出た。外で待ってい たウルに
「この扉の鍵はあなたにお預けしたいと思います」
「いいじゃろう」
こうして箱の鍵はカリエルが、扉の鍵はウルが所持し、ミラの空間石は洞窟の奥深くに保管され たのである。

 年月が経ち、やがてカリエルはニーナと結ばれた。
結婚式は村を挙げて壮大に行われた。
仲人役は長老のウルが自ら努めた。
結婚初夜、カリエルはニーナに言った。
「これから言う事は大事な事だ。決して忘れてはいけない。私はミラの空間石をあの洞窟の奥深 くに封印した。この鍵と、ウル長老の持っている鍵と、そして私の張った結界を破る合言葉が無 くては、ミラの空間石を手に入れる事は出来ない。これから私達の子孫ができるだろうが、この 鍵と合言葉が必ず伝えていかなくてはいけない。」
カリエルの言葉に、ニーナはうなずいた。
そしてカリエルは翌日、1枚の石板に大地の詩を刻み込んだ。
「これはアーン人達が必ず覚える詩だ。私達はアーン人の子孫である事を決して忘れてはいけな い。この石板も代々伝えていくのだ」
 その後、カリエルの子孫達は、第1子が満10歳になった時、ミラの空間石の話と合言葉を伝えていった。
不幸にして第1子が亡くなった場合は、第2子に伝えられた。
そして鍵と石板も代々伝えられていった。
やがて海面の上昇に伴い、ヤルック村は水没してしまった。
ヤルック村の子孫達は世界を放浪し、やがて現在のスイス北部のオルテン村になる所に辿り着いた。
カリエルの子孫達は、その時その村を離れ、現在のアーラウ村になる所を安住の地と定めた。
こうして何千年もの間、カリエルの子孫達はミラの空間石の話と、合言葉と、鍵と、石板を守り続けてきたのである。