ナスカヤ

 ナスカヤ・シュラクはギリシア大学に通う、女子大生であった。
専攻しているのは、父ロイド・シュラクと同様考古学である。
父は世界中に知られた考古学者である。
現在はチリに居て、遺跡の調査をしているはずである。
父には、カール・グレアム教授というライバルが居て、2人は競い合うように考古学の研究に取り組んでいる。
さて、ナスカヤが今日最後の講義が終了し、帰る準備をしていると、
「ナスカヤ!」
友人のアンネ・モーリスが声をかけて来た。
「あなた、今年の夏休みはどうするの?」
「お父様の所に来ないかって誘われているの」
「チリだっけ?良いわねぇ、古代の遺跡かぁ」
「あら、あなただってエドワードとエジプト旅行に行くんでしょ?素敵じゃない」
「それはそうだけれども。でも観光旅行なのよ、実地の調査活動と比べたら、お遊びだわ」
「でもエジプトなら、幾らでも研究対象があるじゃない。私もいつか行ってみたいわ」
「まぁねぇ。それはそうとして、あなた」
アンネは顔をナスカヤに近づけてささやくように訊いた。
「コナンは一緒に行かないの?」
「まだそこまでの仲じゃ無いわよ」
「そんな事言って、この前だってデートしたって言ってたじゃない」
「でも、ただ遊んだってだけだったわ。まだ良いお友達、って所かしら?」
「ナスカヤ!」
その時ルイズ・ドネリが叫びながら駆け寄って来た。
「大変よ!」
「大変って何が?」
「何がじゃ無いわ、いいからちょっといらっしゃいよ」
ルイズはナスカヤの腕をつかむと、食堂まで引っ張っていった。
食堂は学生でごった返していた。
皆一様にテレビに釘付けになっている。
「繰り返します、本日チリのホテルにおいて、世界的に著名な考古学者、ロイド・シュ ラク教授が助手のクレメンス・ランドさんと一緒に殺害されました。地元警察は強盗の 疑いで現在捜査を開始しております。ロイド・シュラク教授は・・・」
ナスカヤはしばらく呆然としていたが、やがて崩れ落ちかかった。
「ナスカヤ!」
慌ててアンネとルイズはナスカヤを抱きかかえ、椅子に座らせた。
「死んだ?お父様が?」
「大丈夫、あなた?」
アンネは水を持って来てナスカヤに飲ませた。
「テレビでは部屋中かき回されていたって言ってたわ。強盗の線が一番強いって」
「信じられない・・」
ナスカヤは消え入るような声でつぶやいた。
頭が混乱して、とても父の死を認識できる状態ではなかった。
「ナスカヤ!」
食堂でようやくナスカヤを発見したコナン・シュケルがやって来た。
「大丈夫か?心からお悔やみを言うよ、君のお父様がこんな事になって。考古学界にとっても大損失だ」
「ありがとう、大丈夫よ、コナン・・」
「テレビでは強盗らしいって言ってるわ」
「そんなバカな!シュラク教授が止まっていたのは5つ星のホテルらしいじゃないか。強盗なんか入れるはずが無いよ」
「でも部屋中かき回されていたって・・」
ナスカヤは周りで交わされている会話はほとんど聞いていなかった。
父が居なくなってしまったという事実と懸命に向かい合おうとしていた。
しばらくして、何とか立ち上がった。
「平気かナスカヤ?家まで送っていくよ」
「平気よコナン。ありがとう。でも1人になりたいの。悪いけど先に帰るわ」
「でもナスカヤ」
「大丈夫、ありがとうコナン」
ナスカヤはのろのろと駐車場まで歩いていった。
周りから見たら夢遊病者の様であった。
自分の車に辿り着いても、鍵をなかなか鍵穴に差し込む事ができなかった。
ようやく乗り込んでエンジンをスタートさせると、少し心が落ち着いて来た。
 家路の途中で、何度も父の事を思った。
父が死んだ等と未だに信じる事ができない。
悪い夢でも見ている様だった。
もしくは周りの皆が全員で自分をだましているのか。
はかない幻想であると分かっていても、そんな事を考えてしまう。
父はいつも世界中を旅していた。
カール・グレアム教授というライバルにまけじと数々の遺跡を発見し、驚くべき推論を展開し、考古学界に大きな影響を与えてきた。
家に帰ってくると、いつも母とナスカヤにいろいろなお土産を持って帰って来てくれた。
そして、数々の物語を聞かせてくれた。
何度かは、ナスカヤを呼び寄せてくれた。
考古学の実地調査を手伝わせてくれた。
ナスカヤにとっては、誰よりも大切な愛すべき父親。
それが死んでしまった等と、到底受け入れる事はできない事実だった。
家に着いて、車を車庫に入れると、郵便受けの中を確認した。
驚いた事に、父からの小包が届いていた。
「母さん、ただいま」
エリス・シュラクは目を真っ赤にして娘を出迎えた。
「ナスカヤ、父さんが・・」
「母さん、私まだ信じられない。とても信じられない・・」
「でも本当の事なのよ。さっきコナリー教授からもお悔みの電話があったの」
「あぁ、母さん!」
「ナスカヤ、起こってしまった事は仕方無いわ・・」
エリスは声を詰まらせながら
「これから・・これからは私達だけで何とかやって行かなくては・・。辛いでしょうけ れども、耐えなくては。お前ももう子供では無いのよ」
ナスカヤは、言ってるエリス自身が必死に耐えているのが良く分かった。
「母さん、父さんが私に宛てて送ってくれた小包があったの、ちょっと外で読んでくるわ」
言うと今にも泣き崩れそうな母を置いて少し離れた小高い丘に向かって行った。
あのままだと2人とも泣き続ける事になっただろう。
この小高い丘はナスカヤのお気に入りの場所であった。
市街地を下に見下ろす事ができる。
涼しい一陣の風がナスカヤの髪をなびかせて行った。
ナスカヤは小包を開くと、中には手紙と箱が入っていた。
箱を包みの中に戻すと、ナスカヤは手紙を読み始めた。